硫黄島にて 浅田真二陸軍中尉の遺書

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硫黄島にて 浅田真二陸軍中尉の遺書

硫黄島の戦いで1ヶ月近く激戦を繰り広げ、多大な犠牲者を出したアメリカ軍が硫黄島を占領した翌日3月16日、摺鉢山近くの岩山の穴から片足を失った日本の陸軍少佐が降伏のしるしのハンカチを掲げてこう言いました。

「司令官はいないか。穴の中にはまだ有能な30名の青年達が残っている。彼らを日本のため、世界の為に生かしてやりたい。私を殺して彼らを助けてほしい」

出典 http://www.facebook.com

この少佐に引見した第五艦隊レイモンド・スプルーアンス司令官は「お前も部下達も助けてやろう」と言うと、少佐は「サンキュー」と言いながら息を引き取りました。

その後、アメリカ軍は青年達が残っている穴の中に煙草や缶詰を投げ入れて、穴から出てくるよう何度も勧告しますが、彼らは全く応じません。5月になっても日本兵達は抵抗を続け、やがて何名かが餓死し、最後に残された者は手榴弾で自決して果てました。

その爆発音でスプルーアンス司令官自身が穴に行くと、穴の入り口に英語と日本語で書かれた手紙が置かれていました。

「閣下の私達に対する御親切な御厚意、誠に感謝感激に堪えません。

閣下より戴きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴いたしました。

お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずることができません。

最早 水もなく食もなければ、十三日午前四時を期して、全員自決して天国に参ります。

終りに貴軍の武運長久を祈って筆を止めます。   

昭和二十年五月十三日

日本陸軍中尉 浅田真二」

出典 http://www.facebook.com


硫黄島の戦い 1945年2月19日 - 1945年3月26日 概要

【日本の兵力】
 陸軍(総兵力 13,586名)
  兵団長:栗林忠道陸軍中将
  参謀長:高石正陸軍大佐
  師団司令部附:大須賀應陸軍少将
 海軍(総兵力 7,347名)

1945年2月19日
アメリカ海兵隊の硫黄島強襲が艦載機と艦艇の砲撃支援のもと開始。

同年3月17日
栗林忠道陸軍大将を最高指揮官とする日本軍硫黄島守備隊(小笠原兵団)の激しい抵抗を受けながらも、アメリカ軍は同島をほぼ制圧。

同年3月21日
日本の大本営は17日に硫黄島守備隊が玉砕しと発表。
しかしながらその後も残存日本兵からの散発的な遊撃戦は継続。

3月26日、栗林大将以下300名余りが最後の総攻撃を敢行し壊滅、これにより日米の組織的戦闘は終結。

守備兵力20,933名のうち96%の20,129名が戦死あるいは戦闘中の行方不明。

一方、アメリカ軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の損害を受けた。

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