天安門事件の真相が明らかに!

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天安門事件の真相が明らかに!

1989(平成元)年6月4日、民主化を求め、首都・北京の天安門広場に集まった学生を中心とする一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が発砲したり、装甲車でひき殺すといった武力弾圧を強行し、多数の死傷者を出したのが「天安門の大虐殺」。

なぜか。中国政府は当時、発生から15日後の6月19日、死者数は学生36人を含む民間人218人と人民解放軍(PLA)の兵士10人、武装警察官13人の計241人。
負傷者は7000人と発表していたのですが、先ごろ英国で公開された外交機密文書によると、実際は何と、少なくとも1万人の一般市民が殺害されていたことが判明したのです。

この数字、どこから出てきたかと言うと、当時の駐中国英国大使、アラン・ドナルド卿(きょう)が、この大虐殺の発生翌日の1989年6月5日付で打電した英政府への極秘公電の中に出てきます。

アラン卿の情報源は「中国の国務院の“良き友人”から聞いた情報を伝えてきた」人物で、6月3日の夜から4日の夜の大虐殺についての状況が説明されています。

英紙インディペンデント

<天安門広場の周辺に集結した大勢の人々に“残虐行為”を行ったのは、山西省の人民解放軍の陸軍「第27集団軍」で、彼らの60%は読み書きができず、primitiveと呼ばれていた>

<登小平(とう・しょうへい)率いる共産主義政府が“最も信頼でき、従順である”との理由で「第27集団軍」を選んだとみられる>

<「第27集団軍」の装甲兵員輸送車は群衆を銃撃した後、彼らの遺体の上を走っていった。APCは時速64キロの速度で軍隊や一般市民を轢(ひ)いていった>

<集結した学生たちは、天安門広場から退去するまでの時間として、1時間の猶予を与えられたと考えていた。しかし5分後、APCが攻撃を開始した>

出典 http://www.sankei.com

<学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、APCにひき殺された。そしてAPCは何度も何度も彼らの遺体をひいて“パイ”を作り、ブルドーザーが遺体を集めた。集められた遺体は焼却処分され、ホースで排水溝に流された>

<負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺された。そして負傷した3歳の娘を助けようとした母親が銃撃された。この子供を助けようとした他の6人の人々も銃撃された>

<「第27集団軍」はダムダム弾を使っていた。そしてこの軍の狙撃兵は、建物のバルコニーや路上にいる一般市民を標的銃撃練習の的まとにしていた。北京の病院は、軍の治安部隊の負傷者だけを受け入れるよう指示された>

<最も少なく見積もっても、一般市民1万人が命を落とした>

<最初の大量殺戮の波が過ぎ去った後も、虐殺は続いた>

<生き残った1000人は、脱出できると聞かされていたが、特別に用意された機関銃で掃射された。負傷者を助けようとした救急車も銃撃され、乗務員が殺害された>

出典 http://www.news-us.jp

中国当局が発表した死者数がたったの200人から300人。
また、大虐殺があった6月4日の朝、中国の赤十字は死者数を2700人と推計・発表していますが、これも少な過ぎますね。

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